アナログ人間の独り言~阪神タイガース・映画・サブカルチャー・旅行等々
小松左京の代表作といえば、「日本沈没」と「復活の日」というのが大方の一致した見方ではないでしょうか?
人によっては、「果しなき流れの果に」や「ゴルディアスの結び目」、或いは「コップ一杯の戦争」と言う方もいらっしゃるでしょうが、当時の社会や後世に与えた影響についてはこの二作が群を抜いています。
特に大きな地震があれば、必ず「日本沈没」が引き合いに出されますし、インフルエンザや伝染病が流行すれば、「復活の日」が注目を浴びるのが世の習いになってしまっているようです。

日本映画専門チャンネルで放送中の「映画は世界に警鐘を鳴らし続ける」という特集企画。
そのラインナップの1本に73年版「日本沈没」が選ばれ、先日放送されました。
別番組で、選者の岩井俊二監督とジブリの鈴木敏夫プロデューサーの対談もあり、本編の放送前後には岩井監督のコメントが添えられていました。

鳥島南東にあった無人島が、突然一夜にして200メートルも沈下。その調査中に田所博士、幸長助教授、潜水艇操艇者の小野寺の三人は、日本海溝の底で高密度の乱泥流を目撃する。
頻発する地殻変動に政府は秘密裏に調査計画を立ち上げ、やがて不気味な予感と共に東京を巨大な直下型地震が襲う…。

映画「日本沈没」のテーマの先見性は、即ち小松左京の原作の素晴らしさに直結するものがあります。
逆に言うと73年版「日本沈没」は、原作のテーマを見事に外さず、そのエッセンスの全てを映像化出来た事がその成功の秘訣だったと言えるでしょう。
それは特撮によるスペクタクルだけではなく、非常時にあって政治家や官僚が如何に振舞うべきなのか、日本人が世界に対してどのように向かわなければならないのか、実にストレート且つ細かく描写されているのです。

岩井氏は対談やコメントで、阪神大震災直後にこの映画を観た時は、東京大地震を中心にした災害の描写に目を奪われ、東北の震災後の鑑賞では移住計画の描写が中心になる後半に凄さを感じたとありました。
原発事故という未曾有の大災害を引き起こした東日本大震災が、地球的環境破壊という世界の注目を浴びるにあたり事態が国内だけで収まる問題では無くなった事、そして多くの原発を有する日本が、まかり間違えば本当に国土を消失してしまうかもしれないという現実の中において、秘密裏に計画を進める政府部内の苦悩と真実を知った国民と国際社会の驚愕は、公開後40年近く経った今、初めて生々しいリアルさを持って我々の眼に映る事になったのではないでしょうか。

公開当時小学生だった私は、実家に近い守口駅前に当時あった「守口グリーン・ローズ劇場」という映画館で父親と2人で観ました。
二つのスクリーンを持つこの劇場は、それぞれ客席が50程度しかないという非常に小さな映画館であり、今のシネコンのような完全入れ替え制の指定席では無く、大入り満員の立ち見状態でそれぞれ時間をずらして上映しており(私達は何とか座れましたが)、子供達は地震のシーンだけハシゴしようと二つの劇場を頻繁に行き来していました。
そしてその時は私もこの映画は中盤の東京大地震が最大の見せ場であり、後半は見せ場の少ない何だか退屈な印象を受け、それは後年も暫く変わる事はありませんでした。

しかし今見ると、何と様々な教訓に満ちた後半である事か。
岩井氏の指摘された「御用学者」云々も然り、マスコミの操作、海外との外交交渉、日本人の将来像、そして難民列車…。
劇中には韓国・北朝鮮に言及するシーンもあり、原作には大変動に対する原子力施設の処置の描写もあります。

映画・原作共に、登場する政治家・官僚達が非常に理想的な人々であるのは確かだと思います。
原作には多少政争や官僚組織の厄介さ、為政者の傲慢といった描写はありますが、基本的に登場する権力者達は国民を救う為に躍起になる英雄です。
阪神大震災の時、自衛隊の出動を駆け引きの道具にしようとして初動を遅らせた当時の政治家や、東日本大震災の原発事故対応でその無能を晒した政府首脳や高級官僚達とは全く別次元の存在なのです。

大変動の調査計画D-1と脱出計画のD-2は防衛庁の中で秘密裏に進められます。
それは自分達だけが助かる為ではなく、混乱を少しでも鎮め、出来るだけ多くの人を助けるのが大前提になっていましたし、事実政府機関や実行委員はぎりぎりまで本土に残ります。
しかし東日本大震災の時はどうでしたでしょうか?
水素爆発後、官房長官がテレビで冷静に国民に呼び掛けた事は、今でも正しかったと思っています。
特に「それ見たことか」と社会不安を煽るような事を堂々とマスコミで吹聴する、一部の非常識な「知識人」達が腹立たしかったせいもありますが…(映画や原作ではこれに田所博士が相当してしまうんですよねぇ…)。
現場で必死に事態に対応している人々は、まさしく英雄と呼ばれるべき方達だと思います。
しかし、一方では現地から何も言わずに人知れず姿を消した東電・原子力関係の家族の方々がいたとも聞きます。
家族は関係無いとは言え、政府は心配無いと言っている中で地域住民の人達が頑張っている時、後々そのような話を聞かされるとやはり釈然としないものがあります。

日本沈没」の原作においても、計画スタッフが調査資料や家族ごと行方をくらませるといった描写があります。
極め付けは映画にもありますが、主人公の小野寺が幸長に計画参加の報酬として恋人との結婚と海外脱出を要求する件。
今でもちょっと非常識ではないかと思いますし、物語の流れの中でもかなり不自然な気がします。
幸長も怒りもせず、「おめでとう!」と喜んでますし。
結局、小野寺は出発直前の富士の大噴火で恋人と生き別れになり、そのまま脱出委員に留まる事になるのですが…。
政府発表から沈没まで約6ヶ月。実質4ヶ月ちょっとというタイトな脱出スケジュールの中、今の日本の政治家や官僚達なら先を争って逃げ出すような気がします。
そしてそんな時でも日本人はきっと、静かに順番が来るのを並んで待っているのでしょうね。

リメイク版製作の際、73年版大好きの樋口監督はプロデューサーにこの映画を観てもらったらしいのですが、その時の感想は「登場人物が何もしていない」との事。要は事態に振り回されて、自分達で解決しようとしないとの解釈だったらしいのです。
そんな事は無い!
もしこの物語が実話なら、登場人物は皆「プロジェクトX」ばりの開拓者だった事になります。
大混乱の中、たった5ヶ月弱で7000万人以上を脱出させた(映画は3400万人)実績を持って、何もしていないとはなんという言い草か!
にも拘らず、樋口監督は何を勘違いしたのかその意見に同意し大変動そのものの解決を試み、結果としてリメイク版は「さよならジュピター」と足して踏み潰したような作品になってしまいました。
リアルさを追求したはずの特撮も、津波のCGについては迫力のみの追求に終始してしまったようで、東日本大震災後にその嘘っぽい映像が人々の関心を得る事は無かったみたいです。

原作刊行当時、政界・財界の著名人にこの本を読んで感銘を受けた方は多かったとか。
「首都消失」の時もやはり同様の現象があり、SFというよりシュミレーション小説として受け入れられた感がありました。
今、現役の政治家・官僚でこの作品を観た(読んだ)人はどれくらいいるのでしょう?
現実に国難ともいうべき大災害があった今、一部のマニアや映画ファン・SFファンだけではなく、広く知って頂きたい作品であります。

東日本大震災後、小松左京氏は随分被災地の状況と原発事故について心配されていたそうです。
ただ、あれだけの事故を起こした原発に関しては、直接犠牲者を出していない事にも触れられており、人類の科学技術に対する氏の揺ぎ無い信頼を感じる事が出来ました。
80年代に発表された「さよならジュピター」にあって、開発の為に木星を太陽化するという、当時でさえ時代錯誤的だった列島改造論的宇宙開発の発想も、氏の科学に対する希望の裏返しであったのでしょうか?
安全神話に溺れて現実がフィクションに追い着いたような状況の今、私達が頼れるのがこの科学技術しかないのも確かな訳で、この先数十年に渡る苦難の道程を乗り越える為には待った無しの技術開発を迫られる事になります。
小松氏はその事も予言されていたのでしょうか?

最後に、二谷英明氏について。
D計画の中核人物であり、画期的な確率論でもって大変動のプロセスを予測する情報科学専攻の科学者、中田一成を演ずる二谷氏は、「日本沈没」の後に東宝系で公開された「華麗なる一族」でも同様のキャラクターで運命に翻弄される銀行頭取役を演じ、紳士的な落ち着いたイメージで作品を支えられていました。
その映画でのキャリアの大部分を占める日活作品にしても、私は決して代表作とは言えない「戦争と人間」くらいしか知らず、テレビでの代表作とされる「特捜最前線」もそんなに観る事はありませんでした。
しかしながら、私の観たそれら少ない作品群の中で演じられた実直な役柄は、他に代役の見当も付かず、「日本沈没・第二部」映画化の際は必ずや中田総理を演じて頂けるものと思っておりました。
ご冥福をお祈りします。
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【2012/01/13 22:23】 | 映画
【タグ】 日本沈没  小松左京  復活の日  二谷英明  
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